『動画2.0 VISUAL STORY-TELLING』という本の中で「映像」と「動画」の違いについて触れられていた。スマートフォンが登場し、次々に高速な通信規格が登場してきたことで、コンテンツ消費傾向は大きく様変わりしました。制作サイドとしては、どのような形でコンテンツを消費してもらうのが理想かを明確にした上で制作していくことが、今後の動画マーケティングにおいて重要になると感じた点について書き留めます。
帯紙(腰巻)にある写真が、ロバート秋山さんに酷似していて、最初はロバート秋山さんが演じている新キャラかな?!と目に留まった本でした。
『動画2.0 VISUAL STORY-TELLING』は、『多動力』や『お金2.0』のヒット作を生み出した幻冬舎の箕輪厚介さんが編集、帯紙の写真の方はミレニアル世代向けの動画配信を行なっているONE MEDIA代表の明石ガクトさん、本の著書ご本人でした。
ん、ハッ!ロバート秋山さんとは、ぜんぜん違う!たいへん失礼しました。しかし、狙ってないですか?!というぐらい似ていらっしゃる。
動画メディア界隈で「動画2.0」という概念を流行させた著者の明石さんは会社を潰しかけていた時に「映像」と「動画」の違いを明確に理解することが大きな転機になったとして、「映像」と「動画」の違いについて説明しています。
「映像」と「動画」の違い、それはIPTが低いか高いか
どんな時に映像という言葉を使い、どんな時に動画という言葉を使うか?ということで、明石さんは次のような質問を投げかけています。
- ある映画を映画館で観る場合
- その映画を家でソファに座りながらテレビからNetflixで観る場合
- その映画を家でベッドに寝っ転がりながらスマホからNetflixで観る場合
これらはいずれも同じコンテンツであるにもかかわらず、観るシチュエーションやデバイスによって、「映画館で観る映画は映像だ!」「スマホでNetflixから観る映画は動画だ!」というようにあやふやな使い分けをしてしているのではないだろうかという疑問提起です。
映画であれば、観るシチュエーションやデバイスが変わっても「映像」であるというのが明石さんの考え。なぜなら、あと5分で出掛けなければならないという時に映画は観ないからという。
では、「動画」とは?
カップラーメンにお湯を入れて待っている3分の間だったり、トイレに腰掛けている数分の間だったり、電車を乗り換える間の1分。それらスキマ時間にでも楽しめるコンテンツこそが「動画」であると。両者の違いは、時間軸が異なること。
時間軸が異なるというのは、『「動画」には時間軸に対する圧倒的な「情報の凝縮」があることだ。』と結論づけられています。そして、情報の凝縮の尺度を、Informaition Per Time = IPT として、
- 「映像」=IPTが低い
- 「動画」=IPTが高い
というのが、明石さんの考えらえる「映像」と「動画」の違いでした。
『動画2.0 VISUAL STORY-TELLING』を読んで、
私の考える「映像」と「動画」、これからの動画マーケティング
「映像」と「動画」の違い、実はこの質問に本の内容の大半が集約されていたため、読後に抱いた感想としては、本の内容を薄く感じてしまうのですが、言い換えるとサクッと読みやすい展開に仕上がった本と言えます。
また、これからの動画には、いかにスキマ時間に楽しめるコンテンツを作るかが重要な鍵であるという気づきを与えてくれることに、価値がある本だと思いました。
私自身は「映像」と「動画」の違いをコンテンツで区分わけすることに関しては正直意味がないと思います。
「映像」と「動画」、英語でいえばどちらもVideo(ビデオ)です。日本ではそのVideo(ビデオ)よりも、Movie(ムービー)が「動画」や「映像」を指す意味で使われるようになりました。しかし、Movie(ムービー)には、正しくは映画の意味しかありません。
ですが、言葉は生き物。スマートフォンが登場し、次々に高速な通信規格が登場してきたことで、現代日本人には、「映像」よりも「動画」という言葉の方が、小さな子どもからおじいちゃん・おばあちゃんにまで身近な存在になり、映画の意味しかないMovie(ムービー)が、シチュエーションに応じて「動画」を指す言葉として確実に伝わるようになりました。辞書においても映画を「動画」作品と説明するものもあります。
また、この先、新たなクリエイターがスキマ時間で楽しめる3分の映画を作るかもしれませんし、それは昔から短編映画(ショートムービー)のジャンルとして既にたくさんあるとも思います。特定の俳優を熱烈に好きな人は、スキマ時間であっても、あえて好んでその俳優さんが出演している長編映画を観るでしょう。
だから、「映像」と「動画」の違いをコンテンツで区分けすることには意味があるとは思えません。
スキマ時間に楽しむことに向いている動画コンテンツ、じっくりソファに座りながら楽しんでもらうことに向いている動画コンテンツ、のようにコンテンツを指す場合にはすべて「動画」の言葉を使い、その動画コンテンツをスキマ時間に消費するか、じっくりソファに座りながら消費するか、あくまでもそれはユーザーの選択に委ねられます。
つまり、スマートフォン・通信規格の進化によって動画コンテンツにも多様な消費のされ方が生まれており、クリエイター達もこれから先、多種多様な動画コンテンツを生み出していきます。
明石さん考案の尺度を借りるなら、
- スキマ時間に楽しむことに向いている動画コンテンツ=IPTが高い動画コンテンツ
- じっくりソファに座りながら楽しんでもらうことに向いている動画コンテンツ=IPTが低い動画コンテンツ
と解釈するのがこれからの動画マーケティングを理解する上ではわかりやすいのではないでしょうか。
一方「映像」は、クリエイター向けの言葉として、8Kの映像、ドローン撮影映像のように映像手法や映像表現を指す際に使うというのが、『動画2.0 VISUAL STORY-TELLING』を読む前から、そして読んだ後でより一層明確になった私の考える「映像」と「動画」の違いです。
- 「映像」=クリエイター向けに手法や表現を指す言葉
- 「動画」=コンテンツを指す言葉
この方が、現代の日本人にはしっくりくるように思います。
そして、これからの動画は、次世代の超高速通信規格である5Gの登場により、動画コンテンツの消費のされ方がますます多様になるでしょうし、スキマ時間に楽しむことに向いている動画コンテンツ=IPTが高い動画コンテンツが、より一層好まれてより高速に消費されることは間違いありません。
クリエイター達も、IPTが高い動画コンテンツを作ることにより多くのクリエイターが集中することになるでしょう。
動画コンテンツが、IPTが高い動画コンテンツで満たされるほどに、どのような形でコンテンツを消費してもらうのが理想かを明確にした上で制作しているか、制作サイドがあらかじめ理解した上で動画コンテンツを制作しているのとしていないのとでは、成果物に大きな差が生じて然るべきでしょう。
私が身を置く広告分野における動画においては、いかにIPTを高められるか=クリエイターの力量差のようになっていくのだろうと感じました。